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東京地方裁判所 平成7年(ヨ)21143号 決定

債権者

山川博康

右代理人弁護士

北村行夫

(他五名)

債務者

エッソ石油株式会社

右代表者代表取締役

ダブリュー・アール・ケイ・イネス

右代理人弁護士

小長谷國男

今井徹

中嶋秀二

主文

本件申立てを却下する。

申立費用は債権者の負担とする。

理由の要旨

第一申立て

債務者は債権者に対し金一三二万一二九九円を仮に支払え。

第二事案の概要

本件は、債権者が債務者に対し、債権者の所属する組合と債務者の間で、平成七年六月二二日、一時金(夏季賞与)につき合意が成立したとして、右合意に基づき、右一時金の仮払いを求めるものである。

(主要な争点)

一 被保全権利の有無

債権者の所属する組合と債務者との間で一時金に関し合意(労働協約)が成立したといえるか。

1 債権者

債権者が所属するスタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合(略称「ス労自主」、以下「組合」という)と債務者は、平成七年六月二二日、一時金(夏季賞与)について次の内容で合意した。

支給率 三・七か月(平成七年五月一日付基本給に乗ずる)

会社配分 五パーセント

債権者の平成七年五月一日の基本給は月五四万六六〇〇円である。

債権者は、平成七年七月三一日、債務者から右一時金の一部前払いとして金六〇万円の支払いを受けた。

よって、債権者は債務者に対し、一時金(夏季賞与)の残金一三二万一二九九円の支払いを求める。

2 債務者

債務者・組合間で一時金につき合意したとの債権者主張は否認する。

二 保全の必要性の有無

債権者以外の第三者に生じる損害を理由に本件保全の必要性を肯定できるか。

1 債権者

組合が労働組合として債務者による労働者に対する不当解雇の撤回や合理化反対闘争を行っていくには、その資金として組合費が不可欠であるが、夏季一時金の支払いがなされないと、組合費収入(一時金の五パーセント)が遅れて組合はその活動に著しい支障が生じる。また、組合は組合費のほかに任意で特別建設資金を募り、これによって債務者を解雇された組合員に生活保障の支給をしており、夏季一時金が支給されないと、これら被解雇組合員の生活に重大な支障が生じる。

2 債務者

労働組合の活動資金及び被解雇者の生活保障は保全の必要性の理由とはならない。民事保全法二三条二項は「仮の地位を定める仮処分命令は、争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするときに発することができる」と規定しており、第三者の立場は保全の必要性の根拠となりえない。

第三主要な争点に対する判断

一 認定事実

審尋の結果によれば以下の事実が一応認められる。

1 当事者

債権者は、昭和三九年四月一日、債務者に入社し、現在は債務者本社の産業販売部潤滑油販売・技術部業務企画ディヴィジョン業務企画課に所属している。また、債権者は、債務者の従業員で組織される労働組合の一つであるスタンダード、ヴァキューム石油自主労働組合の中央書記長である。

債務者は、昭和三六年に設立され、全国に支店・事務所・油槽所を配し、各種石油製品及び関連製品の輸入並びに販売を業とする株式会社である。

債務者には、組合のほかに、エッソ石油労働組合(以下「エ労」という)とスタンダード・ヴァキューム石油労働組合(以下「旧ス労」という)がある。

2 本件申立てに至る経緯

(一) 組合は、平成六年一二月一四日、債務者に対し、平成七年度の春闘諸要求書を提出し、二四万円の賃上げ並びに労働者の権利拡大及び労働条件の改善要求を行った。右賃上げ要求に対し、債務者は、平成七年三月二四日、組合に対し、賃上げを一万四九〇二円とし、賃上げ分に占める会社配分(債務者の裁量で支給する部分)を二五パーセントから二八・三パーセントに増やす旨回答した。組合は、これを拒否し、同年五月一六日から同年六月五日にかけて新たな協定案を債務者に提出したが、債務者がこれを拒否したため、債務者と組合は基本給の賃上げにつき現在なお交渉中である。

なお、債務者とエ労は、平成七年四月三日、賃上げにつき合意が成立し、同日付協定書を作成し、また、債務者と旧ス労も、平成七年四月一一日、賃上げにつき合意が成立し、同日付協定書を作成している。(書証略)

(二) 債務者と組合の間で、平成七年五月末から、右賃上げ交渉と平成七年度の一時金交渉とが同時並行的に行われるようになった。

(1) 組合は、平成七年五月二九日、一時金(賞与)につき、年間一二か月、夏季は平成七年五月一日付基本給の六か月、年末は同年一一月一日付基本給の六か月分、会社配分なし、欠勤控除なしとする平成七年度一時金諸要求を債務者に提出した。(書証略)

(2) これに対し、債務者は平成七年六月二日付「回答書」で以下のとおり回答した。(書証略)

一九九五年度一時金(賞与)に関して、下記のとおり回答します。

支給額

年間、組合員有資格者基本給の七・四五か月

夏:三・七か月

冬:三・七五か月

会社配分五パーセント

支給日 夏:妥結日により別途定める

冬:一一月二七日(月)

回答に際し、債務者は「会社配分については昨年と同様五パーセントとしたが、来年は会社配分の変更を考えていること、その他は昨年と同様と考えていること、早期収拾を望むこと」等の発言があったが、組合は「右回答は組合の要求に程遠く不満であり、会社配分にも不満があること、考えそのものが了解できない、今後、組合の考え方を述べて行く」旨コメントした。(書証略)

(3) 組合は、平成七年六月五日、債務者からの右回答書に関し、以下のとおりの反論を行った。(書証略)

「六月二日に会社が行った回答は組合の要求からは程遠く、組合は極めて不満であり再考を求める。会社回答七・四五か月は、本年で一八年間も全く同じ月率で、一向に改善されておらず、賃上げにおいて昨年、一昨年、今年と三年連続して賃上げ率が下がり、実質値下げ回答が行われた中で、組合員の生活も極めて厳しく、賃金の後払いである一時金回答が一八年間も全く変わらない年間七・四五か月回答で据え置かれては組合として到底了解するわけにはいかない。(中略)また、会社回答は、……組合要求の会社配分なし、欠勤控除なしの要求に全く答えておらず、従来通り会社配分五パーセントというもので、組合要求を真摯に検討したかどうかについて組合として極めて強い疑念がある。その上、会社は一時金における会社配分について、その枠を拡大せんとしていることをぬけぬけと言ったが、組合として絶対に容認することはできない。いずれにしても、組合として会社回答に対する会社の考え方については極めて不満があり、改めて組合要求に応えるよう再考を求める」

(4) 債務者とエ労及び旧ス労間において、平成七年六月九日、一時金(賞与)につき以下のとおりそれぞれ合意が成立し、債務者とエ労及び旧ス労は、同日付協定書を作成した。(書証略)

支給額

夏季一時金(賞与)

平成七年五月一日現在の組合員有資格者基本給の三・七か月分

冬季一時金(賞与)

平成七年一一月一日現在の各組合員有資格者基本給の三・七五か月分

会社配分五パーセント

欠勤控除あり

支給日 夏季:六月二三日

冬季:一一月二七日

(5) 組合は、平成七年六月一六日、債務者と一時金について以下のとおり交渉をもった。(書証略)

組合は、債務者に再考結果を質したところ、債務者は「六月二日の回答はベストです。変更する考えはありません」と述べた。これに対し、組合は「賃上げもそうだが、この間、会社は一時金交渉についても、いわゆる一発最終回答ですまし、しかも会社の言い分を一方的に言って、あとは早く妥結しろというだけでは、労使間の交渉は全く形ばかりのもので労働組合として忸怩たる思いがある。(中略)会社としては、前回の一時金回答の趣旨説明に加えることはないのか」と発言したが、債務者はこれに対し応答しなかった。

(6) 組合は、平成七年六月二二日、平成七年度一時金要求及び同年度春闘要求の両案件に関し、債務者と団体交渉を行った。その席上、組合は、一時金について会社回答で妥結する意思で右団交に臨んでいることを債務者に伝えたが、債務者は、基本給について妥結しないと一時金についても妥結できない旨回答し、この日の団交は物別れに終わった。(書証略)

(7) 組合は、「エッソの一時金妥結拒否を何が何でも粉砕する!」という見出しではじまる、平成七年六月二二日の団交で債務者が一時金につき妥結を拒否したことを伝える平成七年六月二八日付「ス労自主」を作成した。(書証略)

(8) 組合は、平成七年六月二九日、債務者に対し、「一九九五年度一時金交渉妥結の件」と題する書面により以下のとおりの通知をした。(書証略)

組合は六月二二日(木)の団体交渉において回答した通り、一九九五年度一時金要求について六月二日(金)付会社回答の内容で妥結するので、その旨通知する。

(9) 債務者は組合に対し、平成七年七月四日付「一九九五年度一時金(賞与)の件」と題する書面により以下のとおりの通知をした。(書証略)

「一九九五年六月二九日付け書面にて、一九九五年度一時金交渉に関し、六月二日付け会社回答の内容で妥結する旨通知がありましたが、会社回答は、六月二二日の団体交渉でもお伝えした通り、飽くまでも本年度の賃上げ後の基本給に基づいているものであることを再度確認のためお伝えします。しかしながら、貴組合が、一九九五年度一時金に基づき計算・支給されることを選択され、それをもって本年度の一時金交渉の最終的妥結内容とするということであれば、会社はそれに応ずる用意があります。勿論、会社は、貴組合との賃上げ交渉を可及的速やかに妥結し、新基本給で一時金を支給することを望んでいます。本件につき早急な団交の開催と解決を望みます」

(10) 債権者は、平成七年七月七日、本件仮処分を東京地方裁判所に申立てた。

(11) 組合は債務者に対し、平成七年七月一七日付「団交要求書」を送付した。右文書の内容は次のとおりである。(書証略)

下記の件につき団体交渉を要求する。

日時 一九九五年七月一九日(水)一三:三〇~

案件 〈1〉 九五年度一時金諸要求の件(継続)

〈2〉 九五年春闘要求の件(継続)

〈3〉 九五年六月一五日付貴「東海エッソガス営業所移転の件」(継続)

(12) 債務者と組合は、平成七年七月一九日、一時金について団体交渉を行った。

(13) 債務者は、平成七年七月三一日、債権者の給与振込口座に夏季一時金の一部前払いとして金六〇万円を振込んだ。(書証略)

(14) 組合は債務者に対し、平成七年七月三一日付「団交要求書」を送付した。右文書の内容は次のとおりである。(書証略)

下記の件につき団体交渉を要求する。

日時 一九九五年八月一日(水)一五:〇〇~

案件 〈1〉 九五年度一時金諸要求の件(継続)

〈2〉 九五年春闘諸要求の件(継続)

(15) 組合は、「会社は組合の提案を(理解していないのではなく)理解した上で、あえて(一時金妥結拒否を)行なっている。残念だけど、もう少しやりあわなければと思う」という見出してはじまる、平成七年八月一日の団交にて債務者が一時金につき妥結を拒否したことを伝える平成七年八月二日付「ス労自主団交速報」を作成した。(書証略)

3 一時金(賞与)について

債務者には一時金(賞与)請求権に関する具体的規定ないし定めはなく、エ労らと労働協約において、賞与の支給基準について組合と協議する旨の一般的規定があるにとどまり、この他に就業規則、労働協約及び労働契約のいずれにも一時金(賞与)請求権についての規定はない。

債務者と組合との間では、一時金について妥結した場合には協定書を締結するのが通常であり、妥結時の団体交渉の際に必ず妥結時間まで確認していた。

二 被保全権利の有無(債務者と組合との間で一時金に関し合意・労働協約が成立したといえるか)

1 前記認定の事実によれば、本件は、未だ、債務者・組合間において、平成七年度一時金につき労働協約締結をめざして団体交渉を継続中であると認められるのであって、両当事者間において、一時金につき合意が成立したとはこれを認めることができない。

2 債権者は、債務者と組合は、平成七年六月二二日、一時金について合意した旨主張するが、前記認定のとおり、債務者が組合に対し、一月二日付「回答書」(書証略)により、平成七年度の一時金支給額につき、年間:組合員有資格者基本給の七・四五か月、夏:三・七か月、冬:三・七五か月と回答し、組合が、平成七年六月二二日の団体交渉の席上、一時金について会社回答で妥結する意思で右団交に臨んでいる旨発言したことは一応認められるけれども、右席上において、債務者は、基本給について妥結しないと一時金についても妥結できない旨回答し、明確に妥結を拒否している事実が認められ、債権者の右主張は採用できない。

六月二日付「回答書」提示前後の債務者及び組合の対応や、右回答書にはどの時点の基本給によるのかが特定されておらず、また、本件においては、債務者と組合の一時金についての交渉は、最終的には、妥結の上、協定書を締結することが想定されていたと認められることなど、以上の認定事実等に徴すると、右「回答書」は、団体交渉の過程の中で、債務者から提示された一応の提案というべきものであって、右「回答書」によって、一時金交渉における債務者の確定的意思が表示されているとは認めることができない。

3 また、そもそも労組法は、労働協約が労使間における法規範として秩序形成的な作用を営むことにかんがみ、当事者をして慎重審議せしめてその内容の明確化を図るとともに、当事者の最終的意思を確認する趣旨から、労働協約の締結をいわゆる要式行為とし、その一四条に「……労働協約は、書面に作成し、両当事者が署名し、又は記名押印することによってその効力を生ずる」という規定を置いているのであって、このような労組法一四条の立法趣旨にかんがみると、同条の要求する書面方式は労働協約の本質的要素であるから、仮に、書面外において合意が成立したとしても、右書面方式を欠く合意には労組法上の協約たる効力を認めることはできないし、また、両当事者がそれぞれの回答書に個別に署名又は記名押印した文書を交換した場合など、労使の合意内容が同一書面のなかに記載されておらず、二つの文書を照合してはじめて確認できる場合についても、労働協約としての効力を生じないものと解すべきである。

債務者と組合の交渉経過等は前記認定のとおりであって、本件においては、労組法一四条の規定する、「両当事者が署名し、又は記名押印」した書面が作成されたとは認めることができない。その他、本件においては右事実を認める証拠もない。

4 以上のとおりであるから、本件申立てについては、被保全権利の存在を認めることができない。

第四結論

よって、その余の点については判断するまでもなく、債権者の本件申立ては理由がない。

(裁判官 三浦隆志)

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